滲む
あまりにも書く事思いつかな過ぎて、曲を聞いて雰囲気に合わせて書いたら困難になってしまいました。きもくて胸焼けします。曲は本当に素晴らしいので是非聞いて下さい。
一応雰囲気こんな感じで書こうと思った曲↓
・rain stops, good bye(にお)
https://youtu.be/Tp3DSGWIreo?si=Wxg0S8SpydsIqSZLyoutu.be
・glow(keeno)
https://www.nicovideo.jp/watch/sm11676800
・5/6(ヨルシカ)
https://open.spotify.com/track/1IIbKQS90UuYyMUuVsG8zS?si=wOfARoETRLqdakGBYxJ6Zg
雨が降っていた。出かける前にはバッチリビューラーとマスカラをして上げた睫毛も、湿気で元気がなくなってしまった。その上に乗った雫が、じんわりと瞳にしみこんできて、景色はピントの合わない写真になった。足音、話し声、横断歩道の音、これらすべてが雨音に混ざって、モノクロ映画で使われるフリー素材になった。特にお気に入りでもないけど何回か行った喫茶店の窓際の席で、窓に当たった雫が透明な線を作りながら落ちていく様を見ていたら、うっすら反射している自分に焦点が移った。そのまま水灰色の景色に透過した女をじっと見つめた。普通にしているのに口角が下がっていて、よく怖いと言われたものだから萎える。お待たせいたしました、の声とともに、ウインナーコーヒーが目の前に置かれる。古びた机と椅子、90年代の漫画が並んだ本棚、落ち着いたジャズの音、紙タバコの匂い、扉が開くベルの音と共に外の喧騒が室内に流れ込んできて、同時にありがとうございましたの女性の声。これじゃパターン化されたエモだ。
私はこの人を好きになるだろうというのは、話したことなくても本能でなんとなくわかる。同時にこれは、関わるなという注意警告でもある。それを無視したのは私で、無視できなかったのは私で、自業自得の結果だから、被害者面ハム太郎にはなれない。でも、たかが「一人の人間が好き」という感情にここまで肺を鷲掴みにされ、息を吸うのも億劫にさせられるなんて、バグとしか思えない。低賃金で人間を作りすぎだ。
あの手で他の女を触ると思うと、みるみる眉間が甲高い痛みに教われて、視界がぼやけた。私に対する気持ちがないことが苦しいのではない。私以外の女を選ぶということが苦しくて辛くてやるせない。
喫茶店を出て、当てもなく歩いた。傘をさすのが億劫で、寺町通りに入った。少し薄暗い古本屋に入って、「地獄絵図」を開く。火炙りにされる人間、引きちぎられる人間、針山を登らされる人間。やるせない感情になったときは、いつもこれを見に来た。こんなに痛そうな人がいると思うと、自分の辛さなんてましに思えるなんて、感受性が豊かすぎてバカみたいだ。近くのsmartcoffeeは今日も並んでいた。雨だというのに店員さんも大変だ。閉店間際に一度だけ並ばずには入れたことがあるだけで、それ以来行っていない。こういうおしゃれなところはあまり好きそうじゃないから、彼は置いて、女友達と来ることにする。そのまま南下して、MOVIEX。入口に近づくと、キャラメルポップコーンが染みついた映画館の匂い。私はハッピーな映画は苦手で、ミステリーか鬱系しか見ない。残念なことに、今はそういうのをやってないみたいだが、そもそも映画とか見なさそうだから、映画館に来ることはおそらくない。時計を見ると、17時。空腹なんぞ3日前くらいから感じていないけれど、とりあえず珍遊に入る。チャーハンが褒められがちだが、私はここの硬い細麺が好きだ。ここらへんだったらつるかめもお気に入りだが、わざわざ麺を自分でスープにつけなければいけないなんて意味が分からないとか言いそうだから、ラーメンを食べるなら、珍遊に連れてくることにするとしよう。
そういえば新しいピアスが欲しかったんだったと思い出し、OPAに向かう。一階のアクセサリー売り場にはおしゃれな女の子たちが集まっている。嫌々ながらも一緒に付いてきてくれて、私が合わせてみたアクセサリーに対して、ぶっきらぼうにいいんじゃないとか言ってくれたら、愛しさで心臓が痙攣して卒倒してしまいそうだ。
河原町の交差点で信号を待ちながら、行き交う車が跳ね飛ばす水滴を眺めた。頭が支配されていて、嫌悪感を覚える。いつからこんなに弱くなったんだ。
3か月も経てば、いくら情に厚い私でも、綺麗な思い出に昇華させて、好きでもない古い喫茶店でウイナーコーヒーを飲みながら、女友達にまあ楽しい片思いだったよなんて懐かしむ目をしながら語るだろう。自分のことをエモい物語の主人公だと思っているときが、この世で一番一番胸焼けがする。それを手っ取り早く感じることができるのは、やはり男女間の関係で、綺麗にするなら真っ当な失恋、汚くするならセフレ沼云々。そんな自分になると想像するだけで頭痛がする。舌打ちした。
信号が青に変わって、律儀に傘をさす人と、傘を差さずに走っていく人に分かれて、車道に人が溢れ出す。私はそのまま木屋町通りを超えて、四条大橋を、濡れながら歩いた。少し巻いてちょうど目にかからない長さにしている前髪が、雨に濡れてカールが取れてしまった。平行になった睫毛に絡んで、瞬きする度に目元に触れてくすぐったい。濡れるのは鬱陶しくて仕方ないが、京都の狭い道で傘をさす方がよっぽど鬱陶しくて仕方ない。
乗る予定もないが、祇園四条のバス停の屋根の下に入った。コンクリートにできた水溜まりの上で、いくつもの雨粒が波紋を広げていく。少し風が吹くだけで微妙に揺らいで、汚い円形になって消えていった。雨の日の水溜まりを見ると、呼吸を整えることができた。車が動き出して、水溜まりがタイヤに踏まれていく。「…tゅういください。バスが止まります。ご注意ください」の声が近づいてきて、私はその場を離れた。
そのまま鴨川沿いに降りて、今度は橋の下に入った。流れる川の中の石の上を、足の細い鳥がじっと立っていた。名前はわからないけど、去年の雪が降っていた日も一匹で立っていた。鴨たちが優雅に泳いでいるときも、カラスたちが人間のえさに群がっているときも、いつも一匹で遠くを見つめている。比叡山で修業して解脱済なのだろうか。そうじゃないなら、達観してる風に見せるのは痛々しいからやめた方がいい。
どのくらいの時間ぼんやりしていただろうか。ふと、川面が赤い景色を映しながら白く煌めいていると思ったら、夕日が雲の隙間から覗いていた。その光が、まだ降り続く雨粒を銀色に照らしていた。狐の嫁入り。橋の下から出て、顔を空に向けると、このマジカルシャインと雨乞いに晒されて、あくじめんタイプの私は溶けてしまった。雲がどんどん除けていって強くなっていく夕日が、溶けていく私をさらに溶かした。髪の毛が白くなって、手足はどろどろになって輪郭を失った。そのまま夕日に滲んでいく私は、溶けていく脳みそで、これまでの思い出を探った。そして、5月の緑が舞う日に川沿いを散歩することも、9月の茜に染まる三条大橋を一緒に歩くことも、叶わず、今後隣に彼がいないことを把握した。
届けようとした声は、焼けていく喉のせいで声にならなかった。何とか絞り出そうにも、咳込む音がこの美しい夕焼けの空気に振動するだけだった。
雲間がどんどん千切れていって、私の目から涙が止まらなくなった。ぼやけた視界では、赤く染まった空に、小さく降り続く雨、大きく美しい夕日が、印象派の絵画として出来上がった。
どうか幸せになってください。
なんて偽善者になることはできない。ただ、いつか本気で抱きしめてほしい。
夕日に向いて目を閉じ、最後くらいは口角を上げた。
そのまま私は、滲んで消えた。
服と靴だけが、抜け殻となって残っていた。